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アメノチハレ、アメツチハレ。

いじめはなぜいけないのか。いじめは無くならなくてもいい。

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photo by Rocpoc

※この記事は2015.5.9に個人ブログ(nakamuramakoto.net)へ投稿したものを、再編集して投稿しています。

前回の「いじめっ子が晒してしまう9つの恥」の続きです。いじめがいけない理由と、これからいじめを少なくする為にはどうしていけばいいのかについて、実体験も交えながら書こうと思います。

なぜいじめはいけないのか

いじめる側、いじめられる側、その周りの人にとって多くのマイナスを生んでしまうということが、いじめがいけない理由ではないかと思います。

「いじめる側」にとってのマイナスは、前回の記事で述べたような恥を晒してしまうこと。いじめている(た)人からの恨みを買ってしまうこと。思いやりがない人と思われることで、周りにその人と同じように他人への配慮をしない人が集まりやすくなることなどです。

「いじめられる側」にとってのマイナスは、人と接するのが怖くなって閉じこもってしまうこと。自分のことが嫌いになって、自分自身を傷つけてしまうこと。他人(社会)に恨みを持って、他人を傷つけてしまうことなどです。

「その周りの人」にとっての一番のマイナスは、いじめる側、いじめられる側、そのどちらも他人のことはどうでもいいと思う人になる可能性があるということです。つまり、自己中心的に利益を追求する人間や他人を傷つけても構わないという人間が増えてしまうということです。

いじめは完全には無くならなくてもいい

いじめを完全に無くすことが出来るなら、その方がいいのかもしれません。でも、人間はそんなに完璧ではありません。子供に教える前に大人でもいじめをするくらいですから…。前項の内容と矛盾するようですが、いじめの経験をプラスに変えて成長することも出来ると思います。

僕は高校生の時にいじめをしていました。内容は周りに合わせてその子を避けたり、他の子に無視されているのをしょうがないと思ったり、その子に関する面白いネタを探して友達と一緒に嘲笑したりすることでした。いじめをした理由としては、その子が友達に"ツッコミ"をする時に思いっきり頭を叩いていたこと(他の子も友達を叩いていたけど、その子は周りが引くぐらい思いっきり)と、自分の書いた文章を遠回しにバカにされたことです。僕自身がもっと成長した人間であったなら、自分が不快に感じる部分を「やめてほしい」と指摘することで、いじめが始まる前にその子は気付けたのかもしれません。でも、その時は言えませんでした。理由を簡単に言えば、保身です。その子が周りとどのくらい仲がいいのか判らないし、生意気だと思われるリスクをその子の為に取りたくはありませんでした。その時に僕が晒した恥は主に自己形成の未熟さ自尊心の未熟さ問題点のすり替えです。

「いじめることによって、自分の未熟さや小ささが分かります。いじめられることによって、他人の苦しみや痛みが分かります。」

でも、いじめがエスカレートして、それがいじめる側、いじめられる側、どちらにとっても一生背負うものになってしまう前に、周りにいる大人が両者共を助けないといけないのだと思います。その見極めはとても難しいですが…。

いじめを少なくする為に

中学生の頃に、僕もいじめられていました。無視というか会話に入らせないような態度をとられたり、椅子に画鋲を置かれたりするものだったと思います。記憶に残っているのはそんなような内容です。推測では主犯というか意図的に僕をいじめのターゲットにしていたのは2人でした。主犯のうちの1人に遊びに誘われたとき、最初に話した時の印象が悪く、あまり関わりたくなかった子(なぜか、後に仲良くなる)がメンバーにいたので、それを理由に遊びを断ったのがいじめの原因だと思っています(それ以来、特定の個人についての悪印象な話しは、なるべくしないように気を付けています)。

主犯の1人は優等生で、おそらく生徒会委員もやっていたと思います。成績も良く、容姿も比較的良く、スポーツも万能なタイプでした。その子は多分、のしかかるプレッシャーが強かったのではないかと思います。自分自身に対するプレッシャーか、親からのプレッシャーか、それでストレスを溜めていたのではないかと推測しています。

主犯のもう1人は全く逆のタイプで、これといった取り柄がなく、いじめられている人を見つけて、さらに追い詰めるようにいじめるタイプでした。これもまた推測ですが、その子は多分コンプレックスが強くて、それがストレスの原因になっていたのではないかと思います。

いじめっ子になる人はほとんどの場合、心に何か問題を抱えているのではないかと考えています。僕自身も高校生の時に両親が離婚して、ストレスを抱えていました(言い訳ですが、主犯ではないです。自尊心を傷つけられて、こいつはいじめられてもしょうがない奴だと思った、ちっちゃな人間です)。

いじめもそうですし、どんな犯罪もそうですが、加害者がいなければ被害者は存在しません。被害者のケアも大事ですが、加害者が加害者になる前に救うことが出来れば、それに越したことはないと思います。実際には、いじめが行われた後に対処することしか出来ませんが、問題が大きくなる前に出来ることはあります。いじめが行われた場合には、学校側からの注意のみではなく、「いじめっ子」や「その家族」のカウンセリングを専門のカウンセラーにしてもらうことが必要ではないかと考えています。なぜ家族にもカウンセリングが必要なのかと言うと、子供が心の問題を抱えているとき、その背景に家族間の問題もあると考えられるからです。というよりも、それが根本の原因である場合が多いのではないかと僕は思っています。

そして、学校の先生ではなく、専門のカウンセラーが必要だと考える理由は3つあります。1つ目は、学校の先生に人の心を診る専門の知識がないからです。人の心というのは、とても難しいものです。悩みも人によってそれぞれ違います。中途半端な知識と心持ちで対応することで、状況をさらに悪化させてしまう可能性があります。2つ目は、フラットな気持ちでの会話が出来ないからです。いじめが問題になったその時には、いじめっ子本人にしろ、その親にしろ、先生にしろ、おそらく相手に対する先入観を持っている状態だと考えられます。その先入観が「決めつけ」を生んで、問題の解決を遠ざけてしまう可能性があります。3つ目は、いじめっ子自身が相談し辛いからです。いつも学校にいる先生に自身の心の問題や家庭の問題を相談することで、学校への行き辛さにも繋がってしまうのではないかと思います。

大人がやってはいけないこと

小学生の頃で記憶に残っていることがあります。おそらく3、4年生の時だったと思いますが、厳しいと評判の先生が担任でした。その先生は皆に厳しかったのですが、1人の子に対して特に厳しかったような記憶があります。その子が生意気だったからかもしれませんが、見た目をバカにするように「アンパンマン」というあだ名をつけて笑っていました。厳しい割にはそんなことをしてしまうような大したことない先生なんだなと、子供ながらに思っていたような気がします。あんまり好きな先生ではありませんでした。案の定というか何というか、その子は後にいじめっ子になって、中学生の頃に僕の親友をいじめていました。今になって思えば、その子に対するあの頃の先生の扱いが少しは影響を与えていたのではないかと思います。

もう1つ思うのは、体罰のことです。規律や責任を教えることは重要ですが、それを恐怖や暴力によって教育するのは間違っています。規律や責任を教えていたはずが、いつの間にか「恐怖や暴力によって自分の考え方や価値観を他人に押し付けてもいい」という教育にすり替わってしまう可能性があるからです。暴力的に他人を支配するようないじめ方をするいじめっ子は多くの場合、過去にそういった暴力によって教育をされた経験があるのではないかと推測しています。

「特定の子供を笑いの対象にしたり、逆にひいきをしたりすること」「子供に対して恐怖や暴力で教育をすること」

この2つが僕の考える、いじめを無くしていくために大人がやってはいけないことです。

余談ではありますが、もし自分に子供がいて、その子がいじめをしてしまった時は、頭ごなしに叱るのではなく、しっかりと子供の話を聞ける親でありたいです。どうしていじめをしてしまったのか、親である自分にはどんな問題があったか、謝るべきことがあるならちゃんと謝って、一緒に悩んで成長していける親であり、大人であれたらと思います。

おわりに

世間も学校も「いじめはあってはならないもの」ではなく「いじめはあって当たり前のもの」という認識を持つべきではないかと僕は思います。「あってはならないもの」という雰囲気が隠蔽に繋がって、いじめ問題の本質を隠してしまっているように感じます。

いじめ問題の根本の原因は、やっぱり大人社会にあるのではないかと思います。いじめを完全に無くすことが出来るかどうかは分かりませんが、大人がいじめをするような世の中である間は、子供同士のいじめも無くなることはありません。これは多分正しいです。

まずは大人から…。

いじめっ子が晒してしまう9つの恥

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※この記事は2015.5.2に個人ブログ(nakamuramakoto.net)へ投稿したものを、再編集して投稿しています。

僕自身、いじめをした事もいじめられた事もあります。その経験から思うことは、いじめをする人は未熟だという事です。いじめられる側にも未熟さはあると思いますが、ここではいじめをする側に注目して、いじめっ子に足りない部分を指摘していこうと思います。

1.自己形成の未熟さ

自分の考えをしっかりと持っている人は、周りに協調することの大切さと怖さを同時に知っています。

みんながいじめてるから自分もやった

自分の考えをまだ持たない人は、周りに協調することだけで安心します。

2.自制心の未熟さ

自制心のある人は、自分の中にある欲望と、それを叶えた時に失うものとのバランスを考えながら行動します。

いじめるのが楽しかった

自制心のない人は、欲望のままに動き、多くのものを失います。

3.自尊心の未熟さ

しっかりとした自尊心を持つ人は、それを誰かに傷付けられたとしても、自分自身の頑張りによって相手を見返します。

あいつに恥をかかされた

自尊心の未熟な人は、傷付けてきた相手を傷つけ返すことで、恥の上に恥を塗ります。

4.嫉妬心の間違った使い方

嫉妬心を正しく使える人は、自分自身を成長させる為に使います。

調子に乗ってたからいじめた

嫉妬心の間違った使い方をする人は、相手にしがみつき引き摺り下ろそうとする事で、自分自身を惨めにします。

5.問題点のすり替え

問題点を解決出来る人は、根本にある原因を突き止めて、改善します。

ムカつくからいじめた

問題点を解決出来ない人は、目の前にある不快を、ただ単純に排除しようとします。

6.想像力の不足

想像力のある人は、自分の行動が相手にどんな影響を与えるかを考えます。そして、さらにその先の自分自身への影響も考えて行動します。

いじめてるつもりは無かった

想像力の足りない人は、相手を傷つけるだけでなく、自分自身をも傷つけてしまいます。

7.支配力の履き違え

本当の支配力を持つ人は、多くの人にこう思わせます。「この人に着いて行けば、きっと成長出来る」

言うことに従わせたかった

本当の支配力を持たない人は、大体の人にこう思わせます。「面倒くせぇな。着いて行きたくねぇ」

8.器の小ささ

器の大きい人は、人種、文化、価値観の違い、心身障害の有無、能力や容姿の個人差など、自分と他人との違いを多く受け容れる事が出来ます。

キモい、うざい、汚い、KY

器の小さい人は、受け容れる為の容量が足りないので、それが出来ません。

9.心の弱さ

心の強い人は、他人に頼ることはあっても、依存せずに自らの力で悩みを解決します。

ストレス解消だった

心の弱い人は、他人に依存して、心の中にある痛みを相手にぶつける事で、自分の痛みを解ってもらおうとします。

おわりに

いじめをする人間は未熟で恥ずかしいです。でも、最初から非の打ち所がない人間なんていません。未熟さがあって当たり前です。僕自身もいじめる側、いじめられる側、両方を経験して、どちらの立場でも気が付くことはありました。その経験から、子供のうちにこういった恥を晒してしまって、自分は未熟な人間だということを知っておくことも重要ではないかと考えています。つまり、いじめは完全に無くならなくてもいいのではないかと思っています。このことについて、次回の「いじめはなぜいけないのか。いじめは無くならなくてもいい。」で詳しく書いていきます。