二〇四四

アメノチハレ、アメツチハレ。

なぜ生きる

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※この記事は2014.9.17に個人ブログ(nakamuramakoto.net)へ投稿したものを、再編集して投稿しています。

苦しめてきた悩み

高校卒業と同時期に悩み始めました。原因は色々あったと思います。親の離婚であったり、夢と呼べるものが無かったとか、世界中で起こっている戦争にも影響を受けたし、貧困問題だったり、環境問題だったり、そこからくる未来への不安だったり、この記事と同じタイトルのある本を読んでしまったことだったり。はっきり「これ」と言える原因は分かりませんが、その時期、僕はある疑問に飲み込まれました。

『なぜ生きる』

もう少し細かくすると、「何で生きなくちゃいけないんだろう、出来れば生きていきたくない」という感情でした。それは抜け出そうとしても、また引き込まれてしまう、蟻地獄のようなものでした。

生きる意味を悩み始めて約8年間、僕は色々なことについて考えて、悩んできました。それを紹介しようと思いますが、うまく整理することが難しいので、断片的なものを箇条書きで書いていきます。

・欲しいものはたくさんあるけど、全部は手に入らないし、手に入れたとしてもどうせまた次のものが欲しくなって切りがなくなるんだろうから、もうこれ以上は別に何もいらないかな。

・今まで結構幸せだったし、もうこれ以上は求めなくてもいいかな。

・片一方では嫌になるほど物が溢れていて、片一方では生きていけないほど物が無くて餓死する人までいる。その状況を改善しようとする人達もたくさんいて、きっと少しずつ改善していっている。でも、このまま改善していったらどうなるんだろう?人口が爆発して資源不足、水不足、食糧難。僕らは冷静でいられるのかな。医療技術が発達して寿命が延びていけば、もっとそれが加速する。もう考えるのも面倒くさい。全部あきらめてしまいたいな。

・働くのが面倒くさい。

・ニキビで悩むのが面倒くさい。

・子供を持てば、その子が暮らす未来に責任を持って生きていくことが出来るのかな。きっと僕には無理だろうな。

・どんなに頑張って生きていったとしても、きっとどこかにむなしさは残っていて、心の底から本当に幸せになることは無いと思う。

・人前が緊張するから、そういう場面が面倒くさい。自分の結婚式だってきっとそうだし、親の葬式だってきっとそうだろうな。薄情だな。そんな場面がくる前にやめてしまいたい。親の介護も面倒くさい。

・やりたい事はあるけど、特にはない。

・恋愛して結婚して幸せな家庭を持って。そんな願望もあるけど、自分の親も離婚してるし、世の中の大半の既婚者が言うように、誰かを好きになって結婚しても、その後には色んな問題が待っていて、いがみ合ったり、別れたりする。そんなところに夢を描いてもしょうがないかな。

・生きていくことに決心出来ないでいるから、誰かと深く関わることが恐い。恋人だって欲しいけど、悲しませることになるかもしれない。

・「僕らの置かれたこの状況が、もしマラソンみたいなもので、誰かが一番になって、誰かがビリになるものであるなら…。僕は一番後ろから見守るようについて行って、脱落しそうな人がいたら手を差し伸べて、ビリになる人がいないように最後にゴールしよう」そんな、ちょっとカッコつけた言い訳を逃避の理由に使ってみたいな。

・本当の意味で幸せになることはきっと無いのに、他の命を犠牲にしながら生きていく価値はあるのかな。

・あと何回、「やっぱり生きよう」と心の中で繰り返せば、最後まで生きられるんだろう。もう疲れたよ。

・戦争が無くなることはあるのかな。

・人間なんか地球上の他の生物からしたら、只々迷惑な存在なんだろうな。

・僕なんかが居ても世の中が変わることはないんだろうな。むしろ、いない方が人間一人分の環境汚染が防げるかな。

・虫が嫌いだけど、虫を殺す自分も嫌い。

・進歩していくっていうことは、きっと何かを手に入れる代わりに何かを失っていくっていうことなんだろうな。なんとなくその繰り返しが目に見えてる。目指すべきものってなんだろうか。なんだかむなしくなる。

・みんな辛いことも我慢して頑張っているのにな。それを踏みにじるような、馬鹿にするような考え方になってしまう自分が嫌い。消えてしまいたい。魂があるならそれも消してくれるように神様にお願いしてみよう。そうすれば、元々存在していなかったことに出来るかもしれない。そうすれば、みんなの記憶からも消えることが出来るかもしれない。

細かい悩みは他にもたくさんありましたが、僕自身の悩みの大部分はこんな感じのものでした。

これだけを読むと、ただの超マイナス思考なだけの人間に感じると思います。でも、まだ僕が生きているということは、それ以上のプラス思考を持っているということかもしれません。自分自身を納得させるための、僕なりの答えを必死で考えてきました。こんな人間が、どんな言い訳でまだ生きていこうとしているのか…。それについて書いていきます。

一つ目の生きる目的

何かを達成することは素晴らしいです。でも、その素晴らしさは多くの犠牲の上に成り立っています。例えば「立派な家に住む」という夢を持っていたとします。頑張ってお金を稼ぎ、住みやすい土地を探し、理想の間取りを決めて、家を建てる。それを実現すれば達成感もあり、きっと素晴らしい感情になると思います。でも少し見方を変えてみると、どうでしょうか?もしかしたら、家の材料になった木を住処にしていた生物もいるかもしれません。あるいは、建てた土地に住んでいた生物もいるかもしれません。

人間が追い求める素晴らしさと、それに伴う犠牲は、表裏一体であるから難しい。これは生きる上で避けることの出来ない「むなしさ」(ここで言うむなしさとは、苦しさ、悲しさ、寂しさ、無力感、喪失感、違和感など、心の中にある淀みのようなものをひっくるめて表現した言葉です。他にもっとふさわしい言葉があるかもしれませんが、今のところはこの言葉がしっくりきました)だと思います。

僕はこういったむなしさを「受け入れるべきむなしさ」と呼んでいます。生まれた場所、人種、性別、病気、障害、寿命があること、生きるために仕事をすること、食べていくために他の命を犠牲にすること、他人と関わること、他人よりも優れていたいと思う気持ち、清潔でいるために環境を破壊すること、贅沢をしたいと思うこと、子孫を残したいと思うこと、大切なものを守るための攻撃性も必要なこと、生きていくこと、などがそれにあたると思います。まだまだ他にもありますが、思い浮かんだものを断片的にあげました。

そして、もう一つ。「取り除くべきむなしさ」と呼んでいるものがあります。戦争、差別、偏見、格差、いじめ、自殺、殺人、過剰な欲望、家族間の問題、依存症やそこからくるトラブル、自分には価値が無いと思ってしまう心、楽しむ気力が無くなるほどの働き過ぎ、自分たちの居場所が無くなるほどの環境破壊、などがそれにあたると思います。こちらも思い浮かんだものをあげました。これらは、どうしてそうなるのかを考えて対処することで克服したり、生まないように出来るむなしさだと僕は思っています。

どのむなしさを受け入れて、どのむなしさを取り除くのか、よく考えて取捨選択をする。その判断基準は、人それぞれの部分と、全ての人に共通する部分があるのではないかと考えています。個人の中で、家族の中で、地域の中で、地球の中で、その折り合いをつけて、バランスを作り上げていく。

『受け入れるべきむなしさと、取り除くべきむなしさとの間にある、心地の良い居場所を一つずつ見つけていくこと』

これが一つ目の生きる目的です。

これについて、「恋人は欲しいけど、いない」というむなしさを例に説明してみます。顔が醜い、体型が醜い、卑屈になってる、高望みし過ぎ、人を見下してる、自信がない、仕事が出来ない、頭が悪い、出会いがない、恋人を作るのが恐い、等々。多分、この悩みを持つ多くの人が複数の問題を同時に抱えていて、その問題点の一つ一つがむなしさであるといえます。そこから何を受け入れて、何を取り除くのかを考えます。例えば、顔が醜いというむなしさを取り除きたい場合、現在では整形という方法があります。整形をすれば、綺麗な容姿を手に入れて、その容姿によって異性を魅了することで、恋人がいないというむなしさが取り除かれる可能性は高まるかもしれません。ですが、世の中には整形という方法を批判する人もいるので、その批判に晒されるというむなしさが反対側にはあります。あるいは、その批判も取り除くべきと考えて、それに向けて活動していくのもいいかもしれません。他にも、許容された地域に行ったり、知り合いと遭わないようにしながら隠し通すというむなしさを受け入れるのもいいかもしれません。

一つのむなしさを取り除くにしても、色々な問題点の見方や解決の方法、新たに生まれてきてしまうむなしさなど、複雑に絡んできます。色々な矛盾との葛藤です。

そして「恋人は欲しいけど、いない」というむなしさを「恋人は出来なくていい」ということで受け入れてしまえば、この問題自体が無くなります。実を言えば、それが今までの僕でした。でも、やっぱりそれでは心地良くありませんでした。恋人といることや、家族を持つことは、さらに多くのむなしさや葛藤を生むかもしれない恐さもあります。でも、欲しいと思うその気持ちは抑え込まずに受け入れるべきなんだと、今は思います。

数多くの対比の中で、自分自身にとって心地の良い居場所を見つけるのは物凄く大変な作業です。もしかしたら「深みのある人」というのは、その居場所を多く見つけている人なのかもしれません。

二つ目の生きる目的

ここまでは生きる上でのむなしさについて説明してきましたが、先ほど述べたように、その裏側には素晴らしさがあります。愛されて守られて育つこと、友達と遊ぶこと、何かを達成すること、旅行に行くこと、綺麗な景色を見て感動すること、素晴らしい映画を見て感動すること、贅沢をして満足すること、誰かを大好きになること、子供が生まれること、思うこと思われること、認めること認められること、楽しみな未来があること、生きていてよかったと思えること。

『人間として存在することのむなしさと、その裏にある素晴らしさを、置かれた状況の中でしっかりと味わうこと』

これが二つ目の生きる目的です。

世の中には色んな素晴らしさがあります。その全てを一生のうちに手に入れることは出来ません。また、生まれた場所、時代、肌の色、性別、性格、病気、経済状況、人間関係、等々。数多くの違いによっても手に入れられる素晴らしさは変わってきます。

置かれた状況の中でまず触れたもの、それを深くまで味わってみる。そして今度はその裏側にあるものを探ってみる。今、むなしさの深くにいる人は、その裏側に素晴らしさなんか無いと思うかもしれません。でも僕は、そのむなしさを知ることでやっと触れることの出来る素晴らしさが、その裏側にはあると思っています。大事なのはむなしさから逃げないこと。自分自身の今の感情や状況がどこから来ているのか、どうすれば克服出来るのかをしっかりと考えて、立ち向かうこと。その裏側にある素晴らしさにたどり着くまであきらめないことです。

生きることの素晴らしさを味わったのなら、今度はまたむなしさを味わってみて、それも深くまで味わったのなら、また素晴らしさを見つけに行けばいい。その先に何が有るのか、それとも無いのか、はっきりとは分かりませんが、それを繰り返す目的は

『感じとれる世界を広げる』

ということではないかと思っています。

僕自身も悩み始めてからの約8年間、むなしさばかりに目を向けてきたので、これからはまた素晴らしさを見つけに行こうと思います。

これから目指すもの

悩んできた僕ですが、何度も逃げてしまいたいと思っても、それでもあきらめずにここまで来れた理由は、やっぱり家族だったり、友達の存在があったからです。突き放さずにいてくれたことに凄く感謝しています。

今、もしあなたの近くに悩んでいる人がいて、その人を助けたいと思うなら、ただ必要としてあげてください。一緒に遊んだり、断られてもまた誘ったり、話をしたり聞いたり、一緒に笑って楽しんだり、ありがとうと言ったり。面倒くさいと思うかもしれないし、なんだよってイライラすることもあるかもしれないけど、お願いします。みんなに当てはまるかどうかは分からないけど、僕自身は実際そういうところで助けられたのかなと思います。

「縁側でお酒」

これが僕自身のこれから目指すものです。夕陽が沈むところを眺めながら、縁側に座って、そこでちょっといい日本酒を飲めたら最高だなと思います。隣に大好きな人がいればもっと素晴らしいし、子供達が走り回っててもいいかなぁ。走り回ってたと思ったら真ん中に割り込んできたりしてね…。まあ、妄想は広がっちゃうけど、飲むためのお酒だってそうだし、座るための縁側だってそう。その裏には色んな犠牲があって、むなしさがある。でも、やっぱり僕はそこに幸せを感じるし、その性は受け入れるべきだと、今は思っています。だから、そういったむなしさの隙間にこそ「感謝」が必要なんだとも思います。そして、その上で「幸せだなぁ」と実感することが「素晴らしさをしっかりと味わう」ということなんじゃないかと考えています。

不快だから、という理由で虫を殺したりする自分も嫌だったりしたけど、嫌なものは嫌だし、簡単には克服出来ないから、もうしょうがない。人間様に逆らうのが悪い、ごめん!っていう感じで殺してしまいます。まあ、逆らっちゃいないんだろうけど…人間は残酷で高慢だね。それも今は受け入れて、もう少し気持ちを楽に生きていこうと考えています。克服も出来たらいいなとは思うけどね。まだまだちっぽけだからしょうがない。

おわりに

これからもこのブログを通して、僕なりの視点で何かを発信していければいいなと思っています。小難しい感じでマイナス思考的なところはあるけど、そんな視点から…。

「なぜ生きる」とか偉そうなことを書いておいて、最後にこんな事を言ったら怒られてしまうかもしれないけど、本当に苦しかったら生きることから逃げてしまってもいいと思います。でも、僕は生まれ変わりみたいなものを信じているほうなので、死んじゃったあとはたくさん後悔して、そしてまた生まれて来ればいい。その時に生まれて来て良かったと思えるような世の中にするために、僕はもう少しだけ生きて、もう少しだけ頑張ってみようかなと思います。

焦らずに無理せずに手の届く範囲で…。