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アメノチハレ、アメツチハレ。

『最後の審判』と『ハルマゲドン』の正体 - ひふみ神示 解釈5

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※この記事は2016.10.8に個人ブログ(nakamuramakoto.net)へ投稿したものを、再編集して投稿しています。

主にユダヤ教キリスト教で云われている「最後の審判」や「ハルマゲドン」についても、ひふみ神示では言及されています。「解釈3」でも、ちょっとだけ触れましたが、今回はもう少し詳しく書いてみたいと思います。

ひふみ神示を知らない方は、「ひふみ神示 解釈1」から読んで頂けると、少し分かりやすいと思います。全文は「ひふみ神示データー」というサイトに載っています。ひふみ神示の本文を引用する場合、ほぼ全てこのサイトから引用させて頂いています。


一人ひとりの立て別け

『日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ』(上つ巻 第九帖)

『此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ』(日の出の巻 第十三帖)

『一生懸命、自分の信じるように、神を小さくして自分で割り切れるように、引きづり降ろして居るなれど、困ったもんぢゃ、長くゆったりとした気持ちで神を求めて下されよ』(極めの巻 第三帖)

間違った神様を信じてしまう人や、神様を信じられない人。

と、

本当の意味で神様を信じられる人。

『世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ』(春の巻 第二帖)

『ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか』(紫金の巻 第三帖)

他人を信じ過ぎて、自分を見失ってしまう人。

と、

他人の言葉を信じ過ぎず、しっかりと自分の頭で考えようとする人。

『悪神かかりたなれば自分では偉い神様がうつりてゐると信じ込むものぞ。可哀さうなれど それも己の天狗からぞ』(黄金の巻 第五十七帖)

『手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎(貴賤上下? - 身分が高い低いの区別)ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ』(月光の巻 第五十五帖)※赤字は補足/解釈

自分や特定の人物(集団)だけが偉い存在だと勘違いしてしまう人。

と、

誰が偉い偉くないではなく、皆がそれぞれの役割を果たすことで世の中が成り立っていると理解する人。

『金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ』(下つ巻 第三十二帖)

『何事に向っても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始はマネごとでもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力 加はるぞ。道は感謝からぞ』(春の巻 第三十六帖)

『われよしの小さいわれよしではならん。大きなわれよし結構ぞ。ぎせいになることを尊いことぢゃと申してゐるが、ぎせいに倒れてはならん。己を生かす為に他を殺すのもいかん。己殺して他をいかすのもいかん』(月光の巻 第三十三帖)

金さえあればいい、自分さえ良ければいいといった考え方で、他人を裏切ったり、騙したり、見捨てたりする人。

と、

人や自然に感謝し、自分や家族だけでなく、皆が良くなったらいいと考える人。

『何事もとがむ(非難する)でないぞ。とがむ心、天狗ぞ。神の前にへり下り、へり下っても尚過ぎると云ふことないのぢゃ。人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。他を排すでないぞ』(黒鉄の巻 第三十一帖)※赤字は補足/解釈

『【智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。智の中には総てを取入れて理解出来るやうに】なってゐるのであるぞ。愛の中に悪入れてはならんぞ』(黒鉄の巻 第十七帖)

法律上の罪を犯した者は、ただ排除すればいいと考える人。

と、

なぜその人が罪を犯してしまったのかに注目して、その問題点を改善しようとする人。

『同じ神の子ぢゃと申してゐるが、頭は頭、手は手、足は足と申してあらうが。同じことであって同じでないぞ。悪平等悪平等ぞ。世界丸つぶれのたくらみぞ』(黄金の巻 第八十八帖)

『区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である』(月光の巻 第七帖)

『何も彼も存在許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ』(黄金の巻 第六十九帖)

皆を同じ基準で評価したり、主観的な価値観や考え方で、その人の価値を勝手に決めつける人。

と、

どんな人にも、その人なりの役割があり、その人なりの価値があると考える人。

『そなたは左に傾いてゐるぞ。左を見なければならんが、片よって歩いてはならんぞ。そなたは右を歩き乍ら、それを中道と思って御座るぞ。そなたは平面上を行ってゐるから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐるが、それでは足らんのう。立体の道を早うさとりなされよ。【正中の大道】あるのであるぞ。左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ』(月光の巻 第五十四帖)

『今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ』(春の巻 第四十二帖)

自分とは違う価値観や考え方を持つ者を排除しようとする人。

と、

他を受け入れて、互いに共生できる道を探していこうとする人。

『すべて世の中の出来ごとはそれ相当に意義あるのであるぞ。意義ないものは存在ゆるされん。それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり。それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってしるのであるから、心せねばならんぞ。「今」に一生懸命になりて下されよ』(夏の巻 第二十四帖)


「ハルマゲドン」の正体

『二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ』(磐戸の巻 第三帖)

「ハルマゲドン」と聞くと、信じる信じないは別として、善(神)の軍勢が悪(悪魔)の軍勢を打ち滅ぼす、大きな戦争のようなものをイメージする人が多いのではないかと思います。僕も以前までのイメージはそうでした。ですが、ひふみ神示には「ハルマゲドンの大峠」と書かれています。

『天の岩戸開いて地の岩戸開きにかかりてゐるのざぞ、我一(いち)力では何事も成就せんぞ、手引き合ってやりて下されと申してあること忘れるでないぞ。霊肉共に岩戸開くのであるから、実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れと何んな臣民も申すぞ』(雨の巻 第十帖)

『今迄 上にあがりて楽してゐた守護神は大峠越せん事になるぞ。肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ。悪も御苦労の御役。此の方について御座れ。手引いて助けてやると申してあろが』(松の巻 第二十二帖)

『出来るだけおだやかに致したいなれど、判りた臣民 日々おわびお祈り結構致し呉れよ、大峠となりてからではいくら改心致しますと申しても、許してくれと申しても、許すことは出来んから』(梅の巻 第六帖)

「大峠」についてのこういった記述を読むと、どこかで起こる大きな戦争というより、これもまた一人ひとりが向き合うべきもののように感じます。

『世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一』(上つ巻 第一帖)

『何につけても大いくさ。人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう』(秋の巻 第二十二帖)

今現在の僕の解釈としては、全世界の人々の「心の中」での戦争が「ハルマゲドン」の正体ではないかと考えています。

『釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教キリスト教は偽の仏教キリスト教ざぞ。同じ神二つあると申してあらうがな』(岩の巻 第一帖)

例えば、宗教間の対立も、どちらかの宗教が勝利して、神に救われるかどうかを決める為にあるものではなく、その対立を通して教徒一人ひとりの葛藤を生み出し、それによって「どういう人間か」を立て別ける為にあるのかもしれません。

『いくさは善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさあるぞ。新しき御代が到来しても いくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ。今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくり出されるのざ。それは大いなる喜びであるからぞ。神のみ旨であるからぞ。新しき世はあけてゐるぞ。夜明ければヤミはなくなるぞ。新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん。外道の武器すてよ。外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器とせよ。かへられるでないか』(春の巻 第四十二帖)

教徒だけでなく、世界中の誰の心にも大なり小なりそういった葛藤があり、生きる上での色々な出来事を通して、個人の中の正道(価値観や考え方の違いを受け入れて、中行く道を模索する方)と、個人の中の外道(価値観や考え方の違いを受け入れず、都合の悪いものを排除する方)とが戦っているのではないかと思います。 その心の葛藤こそが「ハルマゲドン」なのではないでしょうか。ただ、ハルマゲドンは場所の名前らしいので、「ハルマゲドン = 一人ひとりの心の中」が正しいですね。

『神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ』(地つ巻 第三十六帖)

『今の世の様見ても未だ会得らんか。神と獣とに分けると申してあろが、早う此の神示(ふで)読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ』(日の出の巻 第十二帖)


最後の審判」の正体

『この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ』(磐戸の巻 第四帖)

歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし』(星座の巻 第二十五帖)

そして、「最後の審判」についてです。もう言いたいことが分かってしまった人もいるかもしれませんが…。僕が解釈する「最後の審判」とは、罪を裁いて罰を与えるという意味ではなく、一人ひとりをその価値観や考え方によって「立て別ける」という意味ではないかと考えています。

漢字でいうと、 善か悪かを決めつける「」ではなく、入り乱れたものを解きほぐす「」の意味に近いのかもしれません。

『人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。心の世界を整理せよ。そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる』(黒鉄の巻 第三十八帖)

『人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ』(紫金の巻 第七帖)

神の裁きによって地獄に行き煮て焼かれる悪人と、神の救いによって楽園に行き優雅に暮らす善人とが別れるのではなく、一人ひとりがその価値観や考え方によってカテゴリ別けされ、生きたい世界に行き、「それぞれの天国」に住めるのではないかと解釈しています。

※以下、「解釈3」からの抜粋

『死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ』(黄金の巻 第七十五帖)

『霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対象とならないからである』(竜音の巻 第九帖)

『地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、又自づから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、人間のあさはかな考へ方ぞ。考へ違ひぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのぢゃ』(秋の巻 第九帖)

「死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ」→「霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない 」→「霊界の通りになるのぢゃ」

「霊界の通りになる」というのが、建直しされた後の世界のことをいっているとしたら、建直し後の世界では想念(価値観や考え方)が同じ人達が同じ世界(星?)に住むようになり、他の想念の人達とは交流することがないと解釈できます。単純に考えると、他人を受け入れて認め合いたいと思っている人は、同じように他人を受け入れて認め合いたいと思っている人達が集まった世界に行き、他人に優しくしたい人は優しくしたい人同士、他人を見下したい人は見下したい人同士、戦争をしたい人は戦争をしたい人同士で集まり、それが一つの世界になるのではないでしょうか。

『秋の空のすがすがしさが、グレンと変るぞ、地獄に住むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ』(天つ巻 第六帖)

互いに認め合いたいと思っている人からすれば、他人を見下したり、争ったりする人達ばかりがいる世界は地獄のように見えるのかもしれません。ですが、そこに住む人達からすると、その状態が天国であって、逆に互いに認め合うような世界が地獄のように見えるのかもしれません。

※抜粋ここまで

『今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ』(五葉の巻 第十六帖)

例えば、この記述のように原爆や水爆などの武器が通用しない世界というのは、武器を使って敵を攻撃したい人達にとっては、きっと面白くない世界です。なので、武器で敵を攻撃したり、脅したり、お金を儲けたいと思っている人は、武器が実力を持って他人を傷つけることが出来る世界に住めるのではないかと思います。

『進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ。あぐらかいて、ふところ手してゐては出来ん。時もいるぞ。金もいるぞ。汗もいるぞ。血もいるぞ。涙もいるぞ。よいもの程 値が高い。今を元とし自分をもととして善ぢゃ悪ぢゃと申してはならん。よき人民 苦しみ、悪い人民 楽している』(春の巻 第五十九帖)

また、同じ価値観や考え方の人と一緒になった上で、それに対応するような人とも一緒になるのではないかと考えられます。例えば、楽して他人よりもいい思いをしたいと考えている人は、他人を騙してでもお金を儲けたいと考えている人と一緒になったりするのではないでしょうか。

『神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来るぞ』(黄金の巻 第二十二帖)

また、人だけでなく色々な要素もそこに複雑に絡み合ってくるのではないかと思います。例えば、たくさんの感謝をしたい人は、その為に必要な多くの出来事と一緒になったりするのかもしれません。

『人民 栄えて行くことは、神、弥栄のことぞ。神も、人民も、世界も、宇宙も、総ていつまでも未完成ぞ。神様でも大神様は判らんのであるぞ。只、よろこびに向ってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ。正しき喜びを先づ見極めよ。見きわめてひたすらに進めばよいのぢゃ』(春の巻 第五帖)

そして、その中で切磋琢磨しながら生き変わり死に変わり成長して弥栄していく人がいて、

『この世に生れて、この世の行せねば、生れた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変へると申してあらう。神が変へるのでない。自分でなり下がるのであるぞ』(黄金の巻 第九十一帖)

『人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ。反省あるから進展するのであるぞ。ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ。省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが』(春の巻 第九帖)

それとは逆に、人として成長できずに草木になってしまう人や、間違った方向に成長して自ら消滅していってしまう人もいるのではないかと思います。

『マツリせる者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんのざぞ。天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねばならんのざぞ。かへりみる(反省する)、はぢる(恥じる)、くゆる(悩む)、おそる(畏れる)、さとる(悟る)、の五つのはたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ』(青葉の巻 第三帖)※赤字は補足/解釈

『三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ』(マツリの巻 第四帖)